「怒っているシーンを演じてください」と言われたら、あなたはどう演じますか?
多くの人が思い浮かべるのは、顔を真っ赤にして大声で怒鳴る姿かもしれません。
確かにそれも怒りの表現の一つです。でも、本当にそれだけでしょうか?
目次
演技に「正解」はない
現代の演技は、心理的なリアリズムを重視する傾向が強くなっています。
役の内面を深く掘り下げ、その感情を自然に表現することが「良い演技」とされることが多いのです。もちろん、それは素晴らしいアプローチの一つです。
しかし、演技や演出というのは、本来もっと自由であっていいはずです。
演出家や監督によって求められる演技が違うのは当たり前のこと。
時代劇と現代劇では演技のスタイルが違いますし、リアリズム映画と様式美を重視する舞台では表現方法が異なります。
怒りの表現は一つじゃない
例えば「怒り」という感情を考えてみましょう。
ただ怒鳴って、ワーワー騒いで、物を投げる。確かにこれは分かりやすい怒りの表現です。でも、実際の人間の怒りはもっと多様ではないでしょうか?
怒りを抱えた人は、部屋の中から外へ飛び出していくかもしれません。
普段は几帳面なのに、突然乱暴に物を扱うようになるかもしれません。
相手が何を言っても、まったく耳に入らない様子を見せるかもしれません。
あるいは、逆に静かになることもあります。
静かに、低い声で話す。その静けさの中に、より深い怒りが潜んでいることもあるのです。
悲しみだって、泣くだけじゃない
「悲しんでいる」シーンも同じです。
涙を流して泣く。それは確かに悲しみの表現ですが、それだけではありません。
じっと一点を見つめて、何も言わない。表情が凍りついたように動かない。これも強烈な悲しみの表現になり得ます。
意外に思われるかもしれませんが、暴力的な行動によって悲しみを表現することもできます。
悲しみが怒りに転化して、物に当たったり、壁を叩いたりする。そういう表現の仕方もあるのです。
静かに淡々と話し続けることで、心の中の混乱や喪失感を表すこともできるでしょう。
映像だからこそできる表現
さらに、映画やドラマといった映像作品では、俳優の演技だけが感情を伝える手段ではありません。
カメラが何を映すかによって、観客の感情を動かすことができます。
例えば、悲しみのシーン。主人公の表情を映さずに、窓の外の雨を映すだけで悲しみを表現できるかもしれません。故人の遺品をクローズアップで映すことで、言葉以上の喪失感を伝えることもできます。
怒りのシーンでも同じです。握りしめた拳、割れたグラス、バタンと閉められたドア。そういった「物」を通して感情を表現することができるのです。
創作ジャンルによって変わる表現
舞台演劇、映画、ドラマ、アニメーション。それぞれのジャンルには、それぞれに適した表現方法があります。
舞台では、後ろの席からも見える大きな身振りや声の使い方が必要になることがあります。一方、映画ではカメラが顔に寄ることができるので、微細な表情の変化だけで感情を伝えられます。
アニメーションでは、現実には不可能な表現も可能です。怒りで頭から湯気が出たり、悲しみで涙が滝のように流れたりする様式化された表現も、そのジャンルの中では成立します。
自由であることの大切さ
人間の感情表現は、本当に様々です。同じ「怒り」でも、人によって、状況によって、文化によって、表現の仕方は変わります。
パターン化された表現はAiでいいでしょう。
これからは人間しか出来ないことがさらに厳しく問われていくでしょう。
だからこそ、演技や演出も自由であっていいのです。「こうでなければならない」という枠にとらわれず、その作品に、その役に、そのシーンに最も適した表現を探求する。それこそが創作の醍醐味ではないでしょうか。
心理的リアリズムも素晴らしい。でも、それだけが演技じゃない。
様式美も、象徴的表現も、抽象的なアプローチも、すべて演技の可能性なのです。
演技に正解はない。だからこそ、面白いのです。