岸田国士先生の「紙風船」の稽古を始めて1ヶ月くらい経つ。
常々稽古は発見の旅であり冒険であると思っている。
稽古の過程でああ、これはこういうことだったのか・・・とか、ああ、これか・・・という気づきがとても大切なことである。
先日もふと発見が降りて来た。
ああ、紙風船は夫婦の物語だけれど究極的にはお前がいればそれでいい、という物語だ、と。
これは足るを知るというか、現代社会は欲望の社会なので現代人は常に何かに追い立てられて渇望した欲望を満たし、消費するように作用されている。しかしその欲望は永久に満足せず、何かを満たしたらまた何か新しいものを欲して終わりのない旅である。
これを解決するにはすでに満たされていると言う発想である。幸せを探しに行くのではなく、既に幸せだから幸せが引き寄せられるのだ。
既に満たされているから、また満たされるのだ。
この作品の夫婦は暇だから現代で言う遊園地やら繁華街などに行こう、などといっているが何かとつけていこうとはせず、ついにはごっこ遊びに夢中になり、お互いの存在を再認識して確認し合う。
つまりはお前がいればそれでいい、と言う結論に至るのである。